3/11の被災


まずは、今回の震災で被災された皆様にお見舞申し上げます。

時間的に時効じゃないかという気もしますが、自分の被災体験を書きます。長いです。

3月11日14時35分頃、職場を地震が襲う。
最初はよくある地震だと思ってTwitterに冗談を書いたりするが、次第に揺れの長さ、揺れの大きさから普通の地震でないことに気づく。あわてて机の下に避難。
揺れてる途中にビルが停電し非常用電源に切り替わる。仕事で使っているPCはノートPCなのでバッテリに切り替わりデータは無事。
しばらくして、ビル外への避難命令が出される。外を見ると周りのビルも停電しているようである。脱出後ワンセグでTVを確認したところ津波がひどいらしいことがわかった。
で、しばらく余震が続いて、ビルは停電から復旧の見込みがないので、その日は解散となった。しかし、話を聞くとJRは動いていないようである。
そこで、地下鉄なら動いているだろうと思ってバスで上大岡まで移動。これが最初の間違い。
当然、京急も地下鉄も動いておらず、立ち往生。
仕方ないので、家までの15kmを歩いて帰る決意をする。
夜道は暗い。たまたま持ち合わせていたポケットライトがこんなところで役に立つとは。
10kmぐらい歩いて、鶴ヶ峰到着。相鉄が動いていたのでとりあえず横浜に出てみようと思い立つが、途中でやめて引き返す。
再び鶴ヶ峰でタクシーを待つが、30分待って来たのはたった1台。あきらめて二俣川へ移動。しかし、二俣川のタクシーはもっと並んでいた。ネカフェへ行くも満席。
仕方ないので、再び意を決して歩くことにする。
ここでiPhoneの電池が切れかかっていたので、地図検索をガラケーに切り替え。夜遅いので寒さがハンパないが、頑丈な冬装備に守られ、そんなに寒くない。
そして途中道に迷ったりしたが、9kmを歩き切り、自宅到着。到着時刻は午前2時。自宅は奇跡的に電気もガスも水道も電話回線も問題なし。Twitterで生存報告を行い、風呂に入り就寝。時刻4時。
次の日、何だかんだ余震のエリアメールで6時に叩き起こされる。もちろんまともに寝ていないので頭が痛い。しばらく情報収集して、午後になって定期診察のために病院へ。そこで大規模な電力不足のために計画停電が行われるらしいことを知る。
帰って、頭痛が収まらないのでしばらく寝る。2時間ぐらい寝て頭痛がおさまったので晩飯のために横浜へ出る。
街中はところどころで閉店している店がある模様。特にダイエーとブロントは壊滅的な様子。
月曜日、出社しようといつも通りに駅に行ったら計画停電の影響でJRがすべて運休。地下鉄は動いているようなので地下鉄で行くことにするが、ブルーラインがあまりにも人が多く、1本目の電車に乗れず、2本目の電車に乗る。かなりキツい。横浜から先が電車がないので、バスに乗る。道をよく見るとガソリンスタンドに車が並んでいるようである。場所によってはガソリン売り切れになっているところも。
会社に着いたのは始業から遅れること約1時間。しかし、計画停電の影響で14時に終了。なんともやるせない。
帰りは全区間バス。意外と空いてると思いきや、途中からとても混んでいました。

その後、本当に計画停電したり余震が続いたり食べ物・飲み物が品薄だったりといろいろありました。で今日に至ります。
まだ余震や原発問題とか気が抜けないけど、なんとか日本経済を立て直していかないといけないですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください